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仏典 インドの仏教 開教から教団分裂まで - 約100年間 原始仏教、根本仏教、シャーキャムニ・ブッダ(釈尊、釈迦)とその直弟子の時代 ラージャグリハ(王舎城)郊外に500人の比丘が集まり、最初の結集(けちじゅう)が行われ、経典と律とがまとめられた。座長は摩訶迦葉(まかかしょう、マハーカッサパ)、経は阿難(あなん、アーナンダ)、律は優波離(うぱり、ウパーリ)が担当したと伝えられている。 マウリヤ朝第3代アショーカ王の時代(紀元前259年頃)、仏教が急速に広まる 仏滅後約100年 戒律の解釈問題で教団内に対立が起こり、上座部と大衆部に分裂。この戒律の異議のため、毘舎離で七百人の比丘を集めて第二結集が行われた。 仏滅後200年 アショーカ王の時代に、パータリプトラで1,000人の比丘を集めて、第三結集が行われた。 部派仏教の成立 - 前3世紀ごろ 仏滅後300年の初めに上座部は、説一切有部と雪山部に分かれ、説一切有部から犢子部、犢子部から法上部、賢冑部、正量部、密林山部が分かれる。仏滅後300年には説一切有部から飲光部が、さらに400年には、説一切有部から経量部が別れる。これらの主な分裂を含めて、上座部系11部、大衆部系9部に分かれたと伝えられている。この分裂の中で、それぞれの部派は独自の聖典を持つにいたる。 大乗仏教運動の興隆 - 前1世紀ごろ 在家者の信者の増加 仏塔崇拝・仏陀崇拝 経典を主題ごとにまとめる作業が行われ、智慧や縁起を説明する『般若経』が成立。空という独自の視点で縁起を説明した教典で、信徒たちが築いた参拝活動を是認する論理が書き加えられた。 初期大乗経典…般若経、維摩経、法華経、無量寿経――3世紀には龍樹によって空の理論が体系化され、中観派の基礎を作る。 中期大乗経典…勝鬘経、涅槃経、解深密経、大乗阿毘達磨経――5世紀には無着、世親兄弟によって瑜伽行唯識学派が生まれる。 後期大乗経典…楞伽経、大乗密厳経――6世紀になると、大乗経典の中にも密教の萌芽が見られる。 密教の成立 - 7世紀ごろ 周辺の宗教から影響を受け、呪術・儀礼を強調 「大毘盧遮那成仏神変加持経」(別名「毘盧遮那経」「大日経」) 「金剛頂経」 ヒンドゥー教に倣ってマントラ(真言陀羅尼)を唱えたり、多数の新奇な仏尊が礼拝対象となったり、さらには仏法の中心が大日如来や金剛薩埵、法身普賢となったり、タントラの影響で性的な修行も取り入れたりした。これらの結果として、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が説いた教えからは非常にかけ離れてしまった。また、後期インド仏教とヒンドゥー教との差別化が曖昧になるにつれて、後期インド仏教のヒンドゥー教に対する劣勢は確定的になった。 中国の仏教 古訳 仏教伝来~ 旧訳(くやく) 鳩摩羅什(4世紀)~『坐禅三昧経』3巻 『仏説阿弥陀経』1巻 『摩訶般若波羅蜜経』27巻(30巻) 『妙法蓮華経』8巻 『維摩経』3巻 『大智度論』100巻 『中論』4巻 新訳 智ギ、玄奘三蔵(602-664)(7世紀)~唐末(10世紀) 日本の仏教 飛鳥時代 三経義疏 法華経 『法華義疏』(伝615年) 日本最古の書物(古事記は712年、日本書紀は720年) 聖徳太子自筆の草稿本と考えられているが、異説もある。 勝鬘経 『勝鬘経義疏』(伝611年) 維摩経 『維摩経義疏』(伝613年) 奈良仏教系 (南都六宗) 華厳宗 教典 『華厳経』 736 審祥によって伝えられる 743-749 華厳経の思想を反映した東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立される 法相宗(唯識) 653 道昭が入唐留学して玄奘に師事し、帰国後飛鳥法興寺でこれを広めた。 8-9世紀には法相宗は隆盛を極める 修円は興福寺に伝法院を創建、その一流は伝法院門徒と呼ばれた。 徳一は天台宗の最澄との間で三一権実諍論(さんいちごんじつのそうろん)で争った。 律宗(四分律) 753 鑑真が『四分律』による戒律を伝える 唐招提寺 三論宗 (中論・十二門論・百論) 倶舎宗 (説一切有部) 成実宗 (成実論) 平安仏教(平安二宗)系・密教系 真言宗(東密) 開祖 弘法大師「空海」 本山 八幡山東寺・高野山金剛峰寺ほか ご本尊 大日如来 言葉 「南無大師遍照金剛」ほか 教典 『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地羯羅経』『瑜祇経』『要略念珠経』『般若理趣経』ほか 戒律は『十誦律』を重んじ、『四分律』を支持せず、 天台宗(台密) 法華円宗とも 開祖 伝教大師「最澄」 高祖 天台大師智顗 本山 比叡山延暦寺ほか ご本尊 久遠実成無作の本仏・釈迦如来・阿弥陀如来・観世音菩薩など 言葉 「南無阿弥陀仏」 「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」 教典 『法華経』『大日経』『金剛経』『蘇悉地経』『梵網菩薩戒経』『仁王般若経』『阿弥陀経』『観無量寿経』『無量寿経』 法華系(鎌倉仏教法華系) 日蓮宗 開祖 立正大師「日蓮」 本山は身延山久遠寺ほか ご本尊 大曼荼羅 言葉 「南無妙法蓮華経」 教典 『妙法蓮華教』(法華経) 浄土系(鎌倉仏教浄土系) 浄土宗 開祖 円光大師「法然」(源空・黒谷上人・吉水上人とも) 本山 華頂山知恩院・報国山光明寺(粟生光明寺)・聖衆来迎山禅林寺ほか ご本尊 阿弥陀如来 言葉 「南無阿弥陀仏」 教典 「浄土三部経」(『観無量寿経』『無量寿経』『阿弥陀経』の3つ) 浄土真宗 真宗・一向宗とも 開祖 見真大師「親鸞」(親鸞聖人)(法然の弟子) 本山 龍谷山本願寺(西本願寺)・真宗本廟(東本願寺)ほか ご本尊 阿弥陀如来 言葉 「南無阿弥陀仏」 教典 『観無量寿経』『無量寿経』『阿弥陀経』『教行信証』『正信念仏渇』 「信心正因 称名報恩」 他の仏教宗派に対する真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される、無戒であるという点にある(明治まで、妻帯の許される仏教宗派は真宗のみであった) 日本の仏教諸宗中、最も多くの寺院(約22,000ヶ寺)、信徒を擁する。 多くの宗派に分かれているが、最も大きいのは真宗十派の浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗大谷派(東本願寺)である。 融通念仏宗 大念仏宗とも(平安仏教系との考えも) 開祖 聖應大師「良忍」 本山 大念仏寺 時宗 開祖 証誠大師・円照大師「一遍」(一遍上人・智真とも) 本山 藤沢山清浄光寺(遊行寺) 禅系(鎌倉仏教禅系)・禅宗系 曹洞宗 開祖 承陽大師「道元」(道元禅師) 本山 吉祥山永平寺・諸嶽山總持寺 ご本尊 南無釈迦牟尼仏 言葉 「南無釈迦牟尼仏」 教典 『正法眼蔵』『修証義』『般若心経』『観音経』『法華経』『大悲心陀羅尼』『普勧坐禅義』『坐禅用心記』『伝光録』 臨済宗 開祖(日本における) 千光国師「栄西」(栄西禅師)ら 本山 建仁寺・円覚寺・妙心寺・東福寺ほか ご本尊 釈迦牟尼仏 言葉 「南無釈迦牟尼仏」 教典 『般若心経』『大悲呪』『観音経』『白隠禅師坐禅和讃』『宗門安心章』 宋から茶を日本に持ち帰る 江戸時代(禅系) 黄檗宗(おうばくしゅう) 旧臨済宗黄檗派 開祖 真空大師・華光大師「隠元」(福建省福州福清県の生まれ)(インゲン豆の語源) 1654年(承応3年)に明末清初の中国から招聘された中国臨済宗の隠元隆琦により始ま 本山 黄檗山萬福寺(京都府宇治市) インゲン豆の他、タケノコ、レンコン、スイカも隠元禅師が伝えた 普茶料理(ふちゃりょうり)「普く(あまねく)多くの人にお茶を差し上げる」
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浄土真宗親鸞会 顕正新聞 索引 256号~266号 001号~015号 016号~030号 031号~045号 046号~060号 061号~075号 076号~090号 091号~105号 106号~120号 121号~135号 136号~150号 151号~165号 166号~180号 181号~195号 196号~210号 211号~225号 226号~240号 241号~255号 256号~266号 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 第256号 S58/03/15 (1983) 一言説法 論説 読経、法名に高額請求 葬式坊主を許すな 死の怖れなき絶対の幸福 Hさん獲信と死の記録 第256号 S58/03/15 (1983) 本願寺の弁明はウソだらけ =学生部= いよいよ新勧 多彩な、顕正力”充電”作戦 第256号 S58/03/15 (1983) 教科書問題 K氏ダウンか 五度目の催促状送る 執筆者の責任とるべき 親鸞聖人 (28) 承元の法難 作.K (9コマ漫画) 親鸞会七つの質問に 本願寺から書留 「質問はイヤ、体系的見解なら」 これが学者集団の返事 本会、ただちに返信 本願寺の反論書を読んで (2) 高森顕徹 代弁者はおことわり 本願寺の代弁 なぜ嫌う サルの浅知恵 遅かりしA氏 回答済みの大合唱 告発する 動かぬ証拠 本願寺サン 己れの返信 よくご覧 長野・新潟に支部結成 =大阪= ミニが合宿で原稿作り 白道戦、また新記録 新専任講師が誕生 =東京= 「常識テスト」で幅のある顕正を 副支部長を任命 Tさんから Hさんへの手紙 =金沢= 男女合同布教会で一年生が活躍 本会職員を増強 光に向って 第79話 逆境に 鍛える =青年部= 学道戦 わが上隊の立役者 ある阿呆の一生 (4コマ漫画) 善知識再度ブラジルへ 次期随行者(4月~5月) K(21) , T(22) 新婚旅行は九州へ聴聞に =高岡= 本願寺門前で 「七つの質問」ビラ配布 仏眼 ―お知らせ― 統一聴聞に参詣しよう =滋賀= 昼会合が軌道に 法友通信 富山市 O 法友通信 広島市 Y 第257号 S58/04/15 (1983) 一言説法 論説 「当り前」 の つけどころ =九州= 福岡ご法筵も会場パンク 佐賀、熊本からも大挙 第257号 S58/04/15 (1983) 崩壊寸前の本願寺へメス・受けいれるか 情熱で、真実伝えよう! 第16期顕正戦 学生部出陣式行わる 第257号 S58/04/15 (1983) K氏へ最後通告!! 再起不能か、またも返答なし 教科書の誤り、明白に 本願寺の返信 またピンボケ、無回答 「受けとり方の問題だ」 親鸞会のチャンス なぜ、背を向けるのか ローラー作戦、第2弾 支部結成へ死力 福島、鳥取、佐賀県へ 女性講師六名が出陣 本願寺の反論書を読んで (3) 高森顕徹 回答しなかったワケ 「親切な回答 なぜ必要か」 仏法者として落第? 破邪せずして 顕正なし 本願寺、今こそ 足下を直視せよ 問題提起を 受けとめる努力を 批判のための批判 もっと前向きの反論を 高森先生(ブラジル)ご出発 4月5日 また海外出身講師誕生 ハワイ 親睦レクリェーション 聞いときゃよかった 富山医薬大 O (4コマ漫画) 25周年スローガン 秋はいま真宗改革の先駆者たれ 求道意識の躍進 幹部研修会各地で M講師(第9次)アメリカへ 10月29・30日 善知識のみもとに集おう25周年 =青年部= 交流会に全国から 参加者、急激な伸び 十六期顕正戦スタート 光に向って 第80話 夫婦の幸福 法友通信 大阪市 U 医療を通じ仏縁を 真実体得した医師に期待 人事異動 義援金六十六万円集まる プロフィール 琴の名手 Tさん 法友通信 滋賀県 S 仏眼 親鸞聖人降誕会に法友を誘おう 今日までの経緯 法友通信 心臓の専門医に 大阪市 T 神戸市 N 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 9面 号 数 10面 11面 12面 第258号 S58/05/15 (1983) 一言説法 第258号 S58/05/15 (1983) 老化現象の象徴、本願寺の宿善論 感動に沸く 獅子吼再び 第258号 S58/05/15 (1983) 仏法者の鏡 ブラジル支部の上納会員 教学試験成績表 (S・58・2・15~2・28) 第258号 S58/05/15 (1983) 親鸞聖人 (29) 承元の法難 作.K (6コマ漫画) 厳存する阿弥陀仏 方便法身を見た韋提希 光明輝く仏身 法友通信 福井県 S 高森先生再びブラジルへ サンパウロに慈雨 求道心の深化、一段と I氏が支部長に任命 本願寺の反論書を読んで (4) 高森顕徹 やんちゃ坊やは手間かかる 千日以上も機会を提供 なお難グセつける卑劣さ 未来のない 半身不随の宿善論 青年は未来に生きる 老人は過去を なつかしむ 「分って貰いたい」の一心 真実は国境を越えて 滋賀県 H T講師、名通訳で大活躍 ポルトガル語で橋渡し 滋賀県 M 言葉の壁を越えて 仏法一筋の青年部 日々の仏法 姑の顕正に悩む 福島県 M H一家、教学に挑戦 本願寺前門、居眠り運転 対向車二台に衝突、六人が大けが 光に向って 第81話 ビスマークと 田舎の靴屋 送別会 高森先生のお言葉 送別の辞 ブラジル法友の声 教学試験成績表 専任講師誕生 仏眼 6・18(土)19(日) 滋賀降誕会に参詣しよう ブラジル法友の声 同行者の声 人事異動 編集雑記 第259号 S58/06/15 (1983) 一言説法 論説 師表養成の講師学院 熊本に真実燃ゆ 支部結成へ大きく前進 第259号 S58/06/15 (1983) 宿善を求めよ、の言い方が悪いのか 創価学会告発 第1弾 暴行・殺人……凶悪事件の続発 邪教信じた悲劇 名誉会長自ら乱行 第259号 S58/06/15 (1983) あばかれる横暴ぶり 親鸞聖人降誕会(本部会館5/14・15) 浄土和讃をご講演 高森先生ご講演 二位と僅差、S氏(医学部)優勝 十二名、甲乙なしの接戦 70回弁論大会 第259号 S58/06/15 (1983) 親鸞聖人 (30) 承元の法難 作.K (7コマ漫画) 非難の不明点七つを質して120日 本願寺、一問も回答せず 三度目の催促状を送付 本願寺の反論書を読んで (5) 高森顕徹 言葉遣いに まずナンクセ 問われているのは 宿善の物体と 宿善開発までの道程 東京制覇に人材強化 I講師を「都長」に任命 25周年に決起せよ 全国青年部合宿開催 Y指令局長 学生部長を兼任 本願寺サン 過去を前世に 限られるのか 倒せ外道邪宗、樹てよ真実の大殿堂 討論会 N氏(青年部)の討論術が傑出 優勝『寄生虫』 医学部 S 本部降誕会、未曽有の参詣 第四次ハワイ布教 O講師が出陣 決意は即実行 高まる聞法熱 一撃でダウンした 質問とは 「講師学院」設立を決定 一度に多数の専任講師を養成 本会職員二名を増強 光に向って 第82話 病人は診察するが 金銭は診察せぬ 法友通信 真実に命をかけたい!! 東京都 K ブラジル映写会 善知識のご活躍を偲ぶ 日々の仏教 すべての人は兄弟 福島県 M 大導師合格者 学生部ミニ通信 顕正戦、終盤に突入! 本願寺へ四度目の催促 法友通信 富山県 N 京都府 N 体験発表 第七十回弁論大会成績 仏眼 人事異動 ブラジル I 熊本県 S 幻灯会 稚児初詣りに聖人の祝福 新専任講師誕生 第260号 S58/07/15 (1983) 一言説法 論説 大法謗の 創価学会を撲滅しよう 神戸・ポートアイランドに 真実上陸! 兵庫支部が発足 西日本開発に拍車 第260号 S58/07/15 (1983) 宿善の厚薄にて決まる獲信の遅速 本願寺の反論書を読んで (6) 高森顕徹 創価学会告発 第二弾 邪信より噴き出たウミ 暴かれる邪教の実態 女性醜聞は氷山の一角 司法を冒涜する裏工作 学会の「黒い体質」鋭く指摘 第260号 S58/07/15 (1983) 教義の歪曲こそ根源 この大法謗を許せるか! 仏敵法敵に断固破邪の利剣を 法友あふれる滋賀降誕会(6/18・19) 三塗の黒闇ひらくなり 浄土和讃―節の深意をご開顕 第71回弁論大会 優勝 大悲の涙 東京都 K 第260号 S58/07/15 (1983) 親鸞聖人 (31) 承元の法難 作.K (7コマ漫画) 宿善論争 本願寺から久々の返信 逃げの姿勢は相変わらず 本会、五度目の催促 本願寺の歪曲を正す 首尾一貫、親鸞会の主張 救いの可否は”宿善まかせ” 重要さ分からぬ 困った本願寺サン 宿善厚い人は速く、 薄い人はヒマかかる 妙好人 山口善太郎の告白 弥陀の大悲は平等 されど陽気・陰気の花の如し ハワイ布教 T講師が凱旋 四国開発部長に兼任 医療局を新設 局長にN講師 =学生部= 北陸三地区 一・二年生合宿に結集 仮屋も満堂、滋賀降誕会 山口県ローラーに O講師を派遣 光に向って 第83話 真の勇気 討論会 東京学生部に栄冠 第七十一回弁論大会成績 日々の仏法 職安での出来事 福島県 M スライド(幻灯)のご案内 北海道より真実求めて 岐阜・東京へ聞法旅行 法友通信 京都市 F 稚児初詣り 後半四名、順序よく入賞 専任講師への決意告白も 仏眼 人事異動 東京都 T 法友通信 ハワイ O 体験発表 (現随行者・七~八月) Y(24) , M(24) 第261号 S58/08/05 (1983) 一言説法 本願寺の反論書を読んで(7) 高森顕徹 真剣な聞法に勝る獲信の縁なし 第261号 S58/08/05 (1983) 俳優 沖雅也の苦悩 人生にどんな意味があるのか! ホテル47階から投身自殺 真実の仏法に 遇えない悲劇 勝ち抜け、七・八月の聞法戦 命がけの聴聞に徹しよう! 三支部(一般部)が同点トップ 高岡、福井が首位争いの青年部 ますます高まる聞法心 宿善薄き者は どうすればよいか 宿善待つ愚か者 求めてこそ 宿善到来 聞法精進の人は 陽気をうける花の如し 『反論書』のひどい中傷 事実が証明する真実 聞法戦順位 (7/17現在) 光に向って 第84話 正直に生きよ 回答全くなし百七十日も 本願寺へ六度目の催促状 無碍の一道こそ 人生の目的 第262号 S58/08/15 (1983) 一言説法 論説 真宗改革かけた25周年大会 富山五支部は競争心あおる 底力を発揮(京都南) 善戦した16期顕正戦 第262号 S58/08/15 (1983) 創価学会告発 第三弾 これでも仏教か! 阿弥陀仏を焼く大法謗 「釈迦は脱仏」と放言 歪曲した教義こそ根源 これでも信じられるか 歴代会長の悲惨な死 詐欺で集めた 寄付金返還せよ 10月29・30日 高岡市民会館に結集 あと75日、25周年記念大会 申し込み期間は八月一杯 参加者は正会員のみ ローラー作戦 熊本に支部発足 聞法戦、ラスト・スパート 宿善論争に新局面 人事異動 県長補佐に二氏を抜擢 講師学院準備進む 開校は九月一日 浄土真宗親鸞会結成25周年 7/20~7/27 写真でつづる 恒例 学生部夏合宿 法友通信 神戸市 E 仏眼 東京都 K 法友通信 滋賀県 N 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 9面 号 数 10面 第263号 S58/09/15 (1983) 一言説法 論説 再び本願寺の 体質を問う 真実求め越後路へ 新潟ご法筵満場の参詣 福島ローラーからも大挙 第263号 S58/09/15 (1983) 善の勧めを非難する 本願寺は仏教か? 創価学会告発 第4弾 死骸をしゃぶりカネ集め 第263号 S58/09/15 (1983) 血塗られた「平和文化」祭 シゴキで死者出す 自腹切らされSOS 『聖教新聞』販売店悲話 「過激派1000名乗りこむぞ」 おめでとう講師学院 フォト・レポート 専任講師を短期養成 真宗の未来を担う学院生 第一回学生部全国夏の大会 真宗改革は我らの手で! 全国制覇の決意新たに 第263号 S58/09/15 (1983) 親鸞聖人 (33) 越後の聖人 作.K (7コマ漫画) 本願寺の反論書 を読んで (8) 「聞法は勧めている」 シブシブ認める本願寺 本願寺の 聴聞専用バスは いずこに なぜ諸善も勧めるのか 本願寺の非難に答える 「仏法は聴聞に極まる」が… 聴聞外の 獲信の因縁は ないのか ともに 宿善の物体と 認めながら なぜ聞法は可 修善は否 というのか 白道V号 布教妨害、かえって仏縁に 目標突破の二チーム凱旋 酷務のため死者までも 権力の亡者、大作の横暴 集金と集票狙った秘策 =学生部= 北陸三地区 金沢で統一聴聞 N Y講師、千葉県で大活躍 Tさん会館を掃除 金沢支部のTさんも 光に向って 第85話 秀吉出世の秘訣 日々の仏法 金儲けの厳しさ 福島県 M 人事異動 体験発表 弁論がくれた勇気 高岡青年部 A 浄土真宗親鸞会結成25周年 法友通信 石川県 S 法友通信 東京都 F 最新のエレクトロニクスから生まれた、電子バリ 大導師合格者 (7/31試験) 第264号 S58/10/15 (1983) 一言説法 論説 無辺の度衆生心に哭く 25周年 主力は我ら青年部 全国青年部主催法話と決起大会 第264号 S58/10/15 (1983) 本願寺よ、汝は、それでも仏法者か 第264号 S58/10/15 (1983) 創価学会告発第五弾 脱会者は訴える! 題目盲信で患者見殺し 親鸞聖人 (34) 越後の聖人 作.K (8コマ漫画) 遠征布教で極度のご疲労 二週間ご療養 本願寺の反論書 を読んで (9) 高森顕徹 「真宗には善の すすめはない」―本願寺 本願寺サン『七仏通戒偈』もお忘れか なぜ 善のすすめを 非難するのか、本願寺 修善も獲信の因縁 文証で開顕する 十九・二十の二願は 獲信の因縁 十九の願の すすめは、なにか 十九の願意 釈尊『観無量寿経』に開説 『観経』に説く 教えはなにか 定散二善は 善では ないのか 真宗の 衰退は当然 欲いかり・・・ (高森先生のお言葉) 宿善論争 ダンマリ本願寺へ 回答求め催促状 未踏の荒野を開拓 支部結成に湧く北海道 「信心で病気がなおる!?」 白衣の悪魔の手練手管 「題目でガン治す」 豪語した支部長が病死 今こそ意志統一を! 青年部長 高森光晴 日々の仏法 難しい人への心構え 福島県 M 倒せ外道邪宗、樹てよ真実の大殿堂! 本会職員、増強に次ぐ増強 光に向って 第86話 最も困難な 道を選ばれた釈尊 海外から大挙来日 25周年大会に 浄土真宗親鸞会結成25周年 開発部、広島・新潟で研修会 開墾の闘士燃ゆ 法友通信 石川県 K 新専任講師 仏眼 秋は今、真宗改革の先駆者たれ! 新潟県 S 邪教の正体 (2コマ漫画) 次期随行者(11月・12月) K(22), S(24) 号外 S58/10/15 (1983) 一言説法 破邪顕正特集号 釈尊はヌケガラ仏 日蓮をもっともエライという 矛盾だらけの主張 破邪顕正特集号 法謗の大罪人――日蓮 慢性下痢 腸結核 脳膜炎 糞地獄 報いは厳然――日蓮の臨終 これがゴ利益? 号外 S58/10/15 (1983) 創価学会告発 第1弾 暴行・殺人 凶悪事件の続発 暴かれる邪教の実態 女性醜聞は氷山の一角 司法を冒涜する裏工作 学会の「黒い体質」鋭く指摘 教義の歪曲こそ根源 創価学会告発 第4弾 死骸をしゃぶりカネ集め 号外 S58/10/15 (1983) 血塗られた「平和文化」祭 シゴキで死者出す ゴ利益あるハズなのに? なぜ・歴代会長の若死 四代会長北条 浩が急死 58歳、心臓病で 二代会長戸田も56歳で病死 創価学会 特別号 創価学会に だまされている人々を 救おう! ”幸福製造機”のウソ 邪教信じた悲劇 名誉会長自ら乱行 あばかれる横暴ぶり 酷務のため死者までも 権力の亡者、大作の横暴 集金と集票狙った秘策 自腹切らされSOS 『聖教新聞』販売店悲話 「過激派1000名乗りこむぞ」 浄土真宗の現世利益 親鸞聖人90歳まで長生き 板マンダラに何のゴ利益もない 明白な現証 板マンダラはニセ物 だいじょうぶ? あなたの隣の学会員 第265号 S58/11/15 (1983) 一言説法 論説 体外受精児に想う 学生部・25作戦大勝利 岐阜に正会員結集(10/16) 飛躍せよ!!25周年をステップに 第265号 S58/11/15 (1983) 修善は獲信の因縁 見よ、本願寺 これが聖人の文証だ バクロされた 本願寺頭脳集団 の無信心 第265号 S58/11/15 (1983) 本願寺の理解は 半身不随 結成25周年大会 海外からの参詣者 (1) ブラジル 決死の聞法心 厳しい経済事情をのりこえ 10月29・30日――高岡市民会館 真宗改革に総決起 若さみなぎる世紀の大典 本会結成二十五周年 記念大会を挙行 本願寺の反論書を読んで (10) 高森顕徹 修善をすすめる 十九の願は獲信の因縁 親鸞聖人のご文証 三願転入は 十方衆生の獲信の道程 方便を通らずして 真実へは出れぬ 本願寺の反論書を読んで (10) 方便の 十九願のおすすめとは 合点だけで 相済みにする本願寺 蓮如上人の ご文証 25周年めざし 海外から一時に凱旋 ブラジル K講師 団結、そして真宗改革へ 全国青年部交流会 ブラジルからも参加 日本に永住、決意 T、Uさん アメリカ M講師 真仮の区別が 分からぬ本願寺 宿善論争 回答求め270日 英語留学 ミニ白道で実力養成 講師学院生、燃ゆ 日々の仏法 ローラー作戦で活躍の講師を見て 福島県 M =京都地区= 講師試験に 全員合格 光に向って 第87話 なにものにも勝る 紹介状 結成25周年記念出版 顕正新聞縮刷版② 101~200号 法戦④ 来月号は25周年大会を特集します 人事異動 各地に真実の輪を!! 全国開発部交流会 法友通信 大阪府 T 講師試験 111名が難関突破 医学部 心電計を購入 心臓病の発見に 石川県 N 新専任講師 第266号 S58/12/15 (1983) 25周年記念 カラー特集 29日 記念式典 急速な法輪の拡大 日本から世界へ、脈々と 表白文 獅子は伴侶を求めず 真宗改革めざし、独りゆく 会長 高森顕徹 第266号 S58/12/15 (1983) 歓喜の交流、国際色豊かに 29日 交歓会 29、30日 高森先生ご講演 真仮を明かす出陣式 『高僧和讃』を説諭 第266号 S58/12/15 (1983) 優勝弁論 天がさけ、山くだけようとも 一般部代表 F 30日 フィナーレ 真宗改革の先駆者たれ!! 誓いのシュプレヒコール 滋賀県彦根市に 関西本部会館を建立 五千人が聴聞できる 臨時幹部会議で決定 第266号 S58/12/15 (1983) ああ無残!凋落の一途、本願寺 親鸞聖人 (35) 越後の聖人 作.K (10コマ漫画) 世紀の大典、25周年大会 革命前夜の熱気! 本願寺の反論書を読んで (11) 高森顕徹 回答できぬ本願寺 無信の告白か 本願寺の危機的現状を告白 宗務総長も 慨嘆する惨状 消極布教にも 凋落の原因 華やか、躍動する舞台 宿善論争 七つの質問に 300日たつも無回答 本願寺へ十一度目の催促状(11/8) 29日 体験発表 「親以上にあの子は苦しんで」Kさん Y氏「不治の病の我が子に教えられ」 医学講座スタート 毎月一回、本部会館で 記念大会に参加して 感激の声 島根県 K いつもの通り、勝手ながら・・・ 25周年にあたって 真宗改革の先駆者 高森顕徹 東京都 M 次期随行者 K(23) , N(21) 29日 本会の歴史 『法輪のひびき』上映 善知識のご苦労に、熱い感動 30日 弁論大会 Fさんに、真紅の大優勝旗 海外代表 I氏に惜しみない拍手 熊本県 T 光に向って 第88話 母の舌 北海道 T 会員手帳 出場弁士と成績 アメリカ M 親鸞会カレンダー 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 9面 号 数 10面 11面 12面 号外 S58/12/15 (1983) 樹てよう関西本部会館 五千人収容の本堂 総工費17億円の予定 会員のみな様へお願い 大事業監視へ総結集 総務局長 I 241号~255号へもどる 256号~266号
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『中世民衆思想』一気読み会(内容編) 一、なぜ今「親鸞」なのか?―現代的意義 ▼一般的な親鸞像に対するアンチテーゼとして なぜ本書において、親鸞が注目されるのか。その現代的意義は明示的には述べられていない。一般的に言えば、親鸞は悪人正機説(悪人こそ救われる)や専修念仏(ただ念仏を唱えるだけで救われる)、易行の徹底などによって、身分や階級に規定されない信仰を解いたその“平等性”と“普遍性”が注目され、その信仰論は「現代人を魅了してやまない」(4)。実際に、2010年以降に出版されたものに限っても親鸞に関する諸著作は200以上に上り 、その人気が伺われる。 しかし、このように現代人に広く親しまれている“普遍的”な思想家としての親鸞像は、「現代人の近代主義的読み込みに過ぎないのではないか」というのが著者の問題意識の一つである。本書の「焦点は親鸞の思想にある」(3)にもかかわらず題名が『中世民衆思想と法然浄土教』とされている理由の一つは、法然や親鸞のような「頂点的思想家の意義は中世人、特に民衆の生活思想の反省的表現、あるいは民衆の思想的自己表現の理論化にこそある」(5)という立場であり、本書のねらいは、親鸞の信仰と思想を「中世という時代と民衆の思想的自己表現との緊張関係」(6)の中にある「歴史に埋め込まれた親鸞」像として改めて描き出すことにある。 ▼「災害社会」と親鸞 また、本書で論じられることはないが、著者は後の論文(亀山2012)において、「社会とは本質的に身体的な空間領域であり、そこでの人間関係の構造はそれ自体であるのではなく、直接的間接的にそこでの自然との関係の中で存在する」という認識から、中世を「災害社会」として捉え直した上で、新たに親鸞の信仰と思想の歴史的基盤として位置づけている。 中世前期に起こった気候変動(寒冷化)が、前時代の耕作地の大開拓ゆえに「災害」として被害を増幅され、それが人災(戦乱、悪行横行)の要因となり天災の被害をさらに増幅させた。中世は天災・人災の悪循環的に相乗する「災害社会」であり、それは中世人に「下降の時代」を意識させた。このような「災害社会」を背景として、末法思想や「現世安穏・後生善処」の「無常」観が広まっていった、という。 本書の論旨とはややずれるが、大震災と不況の真っ只中にある現代において親鸞の思想になんらかのヒントがあるのではないか。本書をそのような視点を持って読んだとしても間違いではないだろう。 二、各章の要約(伊藤2012による) 序章 中世浄土教の思想史的研究への基礎視角 親鸞研究の方法論に関してまず、哲学的思想的アプローチと歴史学的アプローチとの対比と、その相互の齟齬が示される。哲学的アプローチは中世に生きた親鸞を、現代から超歴史的に、あたかも現代思想において位置づけ、一方、歴史学的アプローチは宗教者親鸞を扱うにあたって、専ら歴史にのみ関心を寄せ、親鸞の信仰と思想への関心は薄い、と著者は指摘する。その反省から、親鸞の生きた時代のイデオロギー的対立の中での、かつ、民衆による浄土教受容の意義を踏まえた親鸞(「歴史に埋め込まれた親鸞像」)の検討、という方法論への立脚が表明される。 次に、服部之総の「史的唯物論的」親鸞把握と三木清の「人間学的」親鸞把握との対比がなされる。服部は宗教を「認識論主義的」な断面でのみ見ようとし、本質的には宗教的求道に関わる内面的精神的問題への顧慮はない。他方三木は問題点をもちながらも信仰としても親鸞を模索した。このような対立に関して、著者は史的唯物論における「認識論主義的宗教論」(宗教を「本質的に幻想的虚構の世界として、専ら自然・社会・人間の非科学的非合理的認識という側面」から理解)の啓蒙主義を批判する。 その上でその克服のため、フォイエルバッハに依拠しながら「実践としての宗教」「生活の術としての宗教」(47)という宗教観を提示する。注目されるのは疎外現象の持つ積極的意義、すなわち宗教における疎外という否定的関係の中に、人間にとって本質的な共同性欲求や自己確証欲求が保存・実現されているという性質である。宗教の本質とは、主体と自然・社会との本質的連関を介しての自己確証であり、活動的人間的感性の対象化活動としての生活の術である。 第一章 法然浄土教の歴史的意義と課題 歴史学の成果に基づいて浄土教と親鸞の歴史的捉え直しがなされる。平安末期から親鸞の生きた鎌倉初期にかけて、浄土教は支配イデオロギーであり、天台や真言などの浄土教が正統派で、法然の専修念仏は異端であった。 古代律令体制の崩壊と、荘園開発に主導される身体性の出現は中世において、イデオロギーとしては古代神々の無力に代わって汚穢の現実の解決の超越的威力を持つと観念される浄土教として現れた。こうして末法思想、厭離穢土欣求浄土の観念は全社会的な「体制的危機意識」としての位置を占めた。この主役であった天台や真言など八宗の浄土教は、諸行往生論すなわち賢愚・貴賎・善悪による往生の階層性をいって、世俗における社会的上下・能力の不平等・努力の差異を往生と連動させる。対して、専修念仏はこれを真っ向から否定して世俗・現世の諸々の差異を超えて万人平等の単一往生を言う異端であった。荘園領主化した八宗は自宗の仏・菩薩を土地神や領主の氏神と結びつけ民衆の崇拝儀礼をとりこんだ。荘園経営は八宗の直接の存立基盤であり、専修念仏の輩の神祇不拝はこの権益を決定的に侵害するものだった。 このような法然浄土教の歴史的位置が親鸞解明の不可欠の前提として示される。 第二章 正統派浄土教の民衆展開の方法と論理 正統派浄土教は広範な民衆の間で布教された。親鸞の検討に入る予備的考察として、無住の『沙石集』を素材として、物語的再構成を手法としつつ、日本の中世民衆にとっての宗教、としての浄土教、の姿が明らかにされる。 第三章 武士の法然浄土教受容の論理と基礎 では、異端たる法然浄土教は民衆にどう受容されたか、「民衆」カテゴリーの一部たる「弱小武士」津戸三郎と熊谷直実の専修念仏信心の在り様を通して民衆における法然浄土教の受容の一端を見る。 第四章 都市民衆と農民の浄土教受容の生活的基礎 浄土教が民衆の間にこれほどまでに広まったという歴史的事象の背後にある社会的要因、すなわち広範な都市や農村の民衆による浄土教受容の歴史的社会的条件の解明がなされる。 中世初期の都市では、「戦乱・疫病・飢饉の頻発による死者の増大」と「死体の氾濫放置の常態化」(256)がみられ、「排泄物は放置」され生活空間は汚物と「汚臭に満ちた穢れた空間であった」(257)。農村では、農業技術史上牛耕馬耕の開始と畜糞の肥料化の時期が農民による浄土教受容期とほぼ重なり合う。臭穢つまり汚れの観念が悪人の観念と結びついたのである。 浄土教にはイデオロギーとしての多面性、全体として体制転換を媒介する普遍性と流動性・不安定性があり、中世支配層の支配イデオロギー(抑圧性)であるとともに抵抗思想(解放性)ともなる。民衆の欲求を最も先鋭的に思想化したのが法然浄土教であり、その核心は「平等観念と仏法の王法に対する優位の観念」だった。浄土教は「民衆の自己存在への肯定的意味づけを促進し、存在権の、民衆による思想的自己表明の意義を担った」(56)のである。 第五章 法然浄土教民衆化の直接的思想化 浄土教の「民衆性、悪人往生、他力易行論」において法然親鸞と並ぶもう1人の提唱者、浄土教史では従来軽視されてきた一遍が親鸞と対比され、その再評価がなされる。 著者は一遍のイデオロギー的位置を以下のように指摘する。「一方で悪人往生・他力易行論を徹底し、他方では神祇崇拝・諸行往生の肯定という理論的には対立する命題が中世の現実から要請され、その現実に基礎を置くのが一遍である。一遍の主張は[…]専修念仏と『顕蜜主義』的浄土教の、専修念仏サイドからの融合を意味する」。「一遍の主観的意図は別として一遍浄土教が、独自の支配権を獲得しつつある武士・在地領主層のイデオロギーの一翼となっていたことを示す。それは上昇しようとする自立的小農民を再び被支配者層へと秩序付ける原理になるというパラドックスを示す」(302)。 第六章 法然浄土教民衆化の批判的思想化 「非僧非俗」をキータームとして、権力化した仏教界で、また民衆との社会的関係において、さらにそれ以上に信仰者親鸞自身の内面的ありかたを親鸞がどう捉えていたかが検討される。 著者は親鸞の非僧非俗論には二つの段階があるという。第一は、正統派浄土教八宗による訴えによって、幕府が僧籍剥奪、流罪としたことに抗しての抗議奏上段階での「非僧非俗」である。弾圧への抗議、国家公認の官僧でないことの自認と、求道心を捨ててはいない点がその主旨であり、ほぼ通説どおりに捉えられる。 対して第二段階としての晩年の「非僧非俗」は、一般的枠組みを超える。「親鸞にとって末法の世においてはすべての人が愚かな罪人である。阿弥陀仏の前では僧もなければ俗もない。宗教的次元では顕蜜体制的な形式的僧俗分類は否定される」。ここでは第一段階とは大きく異なり、内面的あり方に焦点が当てられる。「愚禿に包摂される非僧非俗は、自己の位置を肯定的に表現する存在命題ではなく、永遠の理念ないし当為命題であり、それが実現できないことへの悲嘆を伴った自己否定的なそれと解すべきであ」(357)って、「自己悲嘆としてしかありようのない自己肯定である」と著者は言う。 親鸞の反権力主義は、親鸞の社会的歴史的認識というよりもむしろ信の問題として形成発展させられてきた。「親鸞においては宗教的内省が同時に彼の生きる歴史的社会への批判性を担保している」 終章 法然浄土教の理論的純化と民衆からの乖離 もうひとつの重要なキーターム「自然法爾」の検討を通じて、親鸞の宗教的到達が考察される。 著者は親鸞による「自然法爾」を「一切の人間の意図的意識的関与を否定した人間のありようが自然である」(368)と解し、その要点を四つ挙げる。 ①親鸞は念仏往生を本願とする阿弥陀仏を「真」とし、人格的阿弥陀仏を「仮」とした。阿弥陀仏の根拠に法(ダルマ)があり、自然法爾は法の論理である。従って現実世界の事象は法とは別の論理によって理解されるべき、と親鸞は想定している。 ②弥陀の本願力すなわち法の顕現は人間の作為ではなく、諸行往生=人間からの作用は徹底否定される。したがって現世での階層的ヒエラルキーのみならず、宗教的ヒエラルキーも否定される。 ③神祇崇拝はもちろん、造塔、来迎の奇瑞奇跡、可視的浄土の世界を現出させることは煩悩、自力のはからいである。親鸞の思想は「名号の一点がなければ」「信仰対象としての超越的存在をすべて否定する完全な無神論であ」り、「おどろくべきすさまじい結論である」(378)と捉えられる。 ④現世、人間の歴史的世俗世界、現実世界での人間の主体的在り様を強調する。親鸞は現世を生きる基本的スタンスを能動的なものと捉え、人間の作為が原理となる世界として理解する。(380)現実世界での営為は法とは別の次元である。 上記四点は、当時一般的広がっていた「自然法爾」解釈が、正統派浄土教が説く諸行往生と、それがイデオロギー的に支配する荘園体制の現実を肯定するようにみえたことに対抗しての親鸞の理論的解明の成果である。 ◇論点 親鸞の信仰と思想がなぜ現代でもこれほど注目されるのか 現代においてそれを取り上げることの意義はなにか 伊藤(2012)による疑問点 自己確証は宗教に限らず、人間の営為であれば芸術をはじめすべてにいえるのではないか。 著者の書き方では法や自然を超感性的なもの、あるいは人間が議論したり理解したりすることができないもの、と読めるが、超感性的なものや超自然的なものを否定することが親鸞への接近の前提条件ではないか。 ◇参考文献 田平暢志「書評―『中世民衆思想と法然浄土教』」(『唯物論と現代』、2004.6) 伊藤敬「読書ノート『歴史に埋め込まれた親鸞』の宗教イデオロギー」(『唯物論と現代』48号、2012.6) 亀山純生「〈災害社会〉の中世と〈夢〉を転機とする親鸞の信仰」(同上)
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人物像(ネット情報まとめ) 【生没年】 寿永元年(1182年) -文永5年(1268年)?(生没年等には異説がある。) 【出生地】 越後国。 【夫】 鎌倉時代浄土真宗の祖親鸞 【子供】 小黒女房・善鸞・明信・益方・高野禅尼・覚信尼ら三男三女の母と伝えられている。 【親】 越後国の豪族・三善為教 【1182年(寿永元年)】 越後の豪族・三善為則の息女として生れる。 【1207年(承元元年)】 専修念仏の停止によって越後の国府に配流された親鸞と結婚。(【異説?】それ以前に結婚) 【1211年(建暦元年)】 11月、親鸞の赦免 【1214年(健保2年)】 親鸞と関東に赴く 【1217年(建保5年)】 善鸞を出産 【1224年(元仁元年)】 覚信尼を出産。 他4人の子女を儲けたといわれている。(【異説?】幾人かの子をもうけ) その間20年余り、聖人は常陸・下総・下野の3国を中心に親鸞と布教。 帰洛する親鸞とともに上京し、 親鸞が在京中の70歳頃(1256年-康元元年)以降は越後に帰国していたとされる。 1262年(弘長2年)に親鸞が没した時も越後で中陰に服した。 文永5年(1268)87歳頃、越後から娘の覚信尼に送った10通の書状「恵信尼文書」によれば、 凡そ没年はそれに近い頃であろうことが想定される。 またこの書状は親鸞の晩年における言行を知る上で重要な資料となっている。 by龍谷大学展示室 恵信尼像 恵信尼像(えしんにぞう)絹本着色 一幅 親鸞の内室、恵信尼の影像と称するものである。恵心尼は寿永元年(1182)の生まれで親鸞より9歳若い。 影像は右向き、両手で念珠を持つ像容は、版画に彩色を施したものである。容貌は微笑みを浮かべ、柔和感をもっている。向かって右側上部は「恵信禅尼」の墨書きがある。 この像の制作年代については、室町時代末期が通説となっているが、近年発見された水戸市善重寺本によれば、近世江戸時代初期まで下るものとも考えられる。女性肖像画としては優品のひとつである。
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仏教 / 生命 ■ 大谷大学キャンパスツアー/第5回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界- otaniuniversity 本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)では、2011年3月19日(土)~5月28日(土)で厳修される「宗祖親鸞聖人750回御遠忌」に向け、「親鸞フォーラム」を開催しています。 今回で第5回を数える「親鸞フォーラム」では、「仏教と生命-いのちのゆくえ-」をテーマとして以下の概要でシンポジウムが開催され、本学より織田顕祐【パネリスト】、木越康【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。 ▼日時 2011年2月6日(日)14:00~16 00 ▼会場 六本木アカデミーヒルズ40 キャラントA ▼全体テーマ 親鸞仏教が開く世界 ▼シンポジウムテーマ 仏教と生命-いのちのゆくえ- ▼パネリスト 養老 孟司(解剖学者・東京大学名誉教授) 福岡 伸一(青山学院大学教授) 織田 顕祐(大谷大学教授) ▼コーディネーター 木越 康(大谷大学准教授) .
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目次 序章 中世浄土教の思想史的研究への基礎視角 第一節 歴史的宗教の哲学的研究と歴史学的研究の媒介の意義――三木「親鸞」と服部「親鸞」の断裂と交錯―― はじめに (一)三木「親鸞」への服部の批判 (二)三木「親鸞」と服部「親鸞」の原理的差異――史的唯物論と宗教をめぐって―― (三)三木「親鸞」の歴史的社会性とその振幅――非歴史性批判への三木の可能的応答―― (四)三木「親鸞」と服部「親鸞」の媒介の意義とその課題 第二節 史的唯物論の宗教観の再検討 (一)現代宗教現象が映す伝統的な史的唯物論の宗教観の一面性 (二)いわゆるマルクス主義宗教論の近代主義的盲点 (三)宗教観の根本的転換のてがかり――感性的人間の疎外的実践としての宗教 第三節思想史の軸と民衆思想 (一)文化発展の基準としての「人間性」と思想史の軸 (二)中世浄土教の思想史的理解の軸 (三)民衆思想の析出の方法と物語的再構成 第1章 法然浄土教の歴史的意義と課題―親鸞思想の“普遍”性の意味と歴史性の関係から 第一節 親鸞思想の“近代性”と“普遍性” 第二節 歴史の特殊性における思想の〃普遍性″の意味 (一)親鸞思想の“普遍性”の根拠の解釈類型 (二)思想の“普遍性”の歴史的普遍性としての性格 第三節 法然浄土教の歴史的意義と課題――正統派浄土教との対立から―― (一)法然浄土教の核心――民衆救済と専修念仏―― (二)中世浄土教における法然浄土教の位置 (三)法然浄土教と「旧仏教」の対立点と法然浄土教の異端性 (四)悪人往生論の民衆的意義と法然浄土教の異端性 第2章 正統派浄土教の民衆展開の方法と論理―『沙石集』の歴史的位置と思想構造 第一節 『沙石集」の歴史的位置 (一)「沙石集』の目的と性格 (二)仏教的真理の顕現としての説話の理論的位置づけ 第二節 民衆の目線が示す正統派仏教と法然浄土教の対立点 (一)「沙石集」の基本的宗教的立場―-諸経・諸宗の兼修・融通論 (二)神仏習合論と世俗道徳の重視 (三)往生の勧めと真言・念仏一体論 (四)専修念仏の批判 (五)正統派仏教・遁世僧の俗化批判と執心超克の強調 第三節 「真の仏道者」論の現実態と民衆的意義 (一)諸仏崇拝・神祇崇拝 (二)諸仏・諸菩薩の勧め (三)勧善懲悪l善と悪の実態 (四)賢愚と執心・妄執の批判 (五)因果の道理 (六)世間の道理 第四節 民衆にとっての『沙石集』の論理と専修念仏論の論理 第3章 武士の法然浄土教受容の論理と基礎―東国武士の生活思想の物語的再構成を通して 第一節 津戸三郎における浄土教信仰――東国武士の生活思想と信仰の物語的再構成の試み―― はじめに (一)津戸三郎についての歴史的〃事実″ (二)谷保と津戸三郎 (三)津戸三郎の歴史的イメージ (四)津戸三郎の信仰生活と法然への傾倒 (五)武士にとっての極楽往生の意義 (六)津戸三郎にとっての法然浄土教の意義 (七)津戸三郎の法然浄土教への抵抗感 終わりに 第二節 熊谷直実(蓮生)における浄土教信仰――民衆の生活思想と法然浄土教の魅力と乖離―― はじめに (一)直実の発心出家の理由をめぐって――武士民衆にとっての浄土信仰―― (二)出家遁世の意味――東国武士の自立性主体的選択性―― (三)法然に帰依した理由――法然浄土教の歴史的意義 (四)熊谷入道蓮生の上品上生立願・予告往生の背景 (五)熊谷入道蓮生の法然浄土教からの乗離 終わりに 第4章 都市民衆と農民の浄土教受容の生活的基礎―悪人観の逆説的受容と悪行肯定の論理 第一節 悪人意識の逆説的受容の生活構造的基礎―民衆世界における臭穢空間の成立 (一)民衆の悪人意識受容の一般的背景 (二)浄土教の普及における悪人意識の受容と臭穢の生活の結び付き (三)悪人意識の中心としての「臭穢の身」の感覚 終わりに 第二節 浄土教受容による殺生=悪人観の浸透とその両義性―山野開発と殺生禁断思想― はじめに (一)民衆の精神世界における中世浄土教の歴史的意義 (二)殺生禁断思想と山野河海の開発 (三)浄土教思想における開発の論理 (四)法然浄土教の人間解放性と全面開発の論理 終わりに 第5章 法然浄土教民衆化の直接的思想化―一遍浄土教の思想構造と思想史的意義 第一節 鎌倉仏教と一遍浄土教の思想史的位置 (一)鎌倉仏教における一遍の思想史的評価 (二)一遍の活動基盤と法然浄土教の民衆的展開の徹底 第二節 遍浄土教の思想構造における大衆性 (一)浄土教の大衆化と悪人往生論・易行論 (二)一遍浄土教における悪人往生論と易行論 (三)一遍浄土教における絶対他力論と浄土観 第三節 一遍浄土教の民衆性について 終わりに 第6章 法然浄土教民衆化の批判的思想化―非僧非俗論の二重性に見る親鸞浄土教の思想構造と思想史的意義 第一節 親驚の非僧非俗論の二重性 (一)親駕の非僧非俗論への基本的視点 (二)専修念仏論の歴史的位置 (三)非僧非俗論の二つのレベル 第二節 悪人正因論と愚禿論 (一)愚禿の一般的意味と特殊な意味 (二)愚禿悲歎と「真実の心」 第三節 非僧非俗論と信の内面性/社会性の内在的統一 (一)賢愚概念の価値的転倒 (二)愚禿論の主体的意義と人間学的背景 (三)「愚禿」に包摂される非僧非俗の論理 終章 法然浄土教の理論的純化と民衆意識からの乖離―親鸞における信仰の“脱魔術化”の両義性と民衆的背景 第一節 親驚の「自然法爾」理解と中世の「自然法爾」論 (一)親鸞の思想体系における「自然法爾」 (二)中世思想における「自然法爾」の観念と親鸞の批判 (三)親鸞における法(阿弥陀仏)の最大的絶対化 第二節 親鸞における信仰の内面化と社会的身体的行為の〃脱魔術化〃 (一)荘園制イデオロギーの否定と農民の自然信仰の容認 (二)自然界の人知超越性と呪術的関わりの否定
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浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問14 問 比叡山の修行時代、煩悩を断ずることができない自己に泣かれた親鸞 聖人の御言葉とその出典も書きなさい。 答 「定水を凝らすといえども識浪しきりに動き、 心月を観ずといえども妄雲なお覆う」 (歎徳文) 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問15へ 平成16年5月23日(日) 教学講義 講師:中根繁会長 親鸞聖人は、天台宗の比叡山で9才から29才まで血みどろのご修行を続 けられた。 「天台宗」とは、最澄が中国に渡って支那天台を学んでから、日本に帰っ てきて作った宗派を言う。 最澄のことを「伝教」とも言うが、この伝教が京都と滋賀の県境にある比 叡山を開いて天台宗を作った。 親鸞聖人は、その天台宗の仏教を20年間に渡って比叡山で修行された。 そして、その結果知らされた自己の姿を告白されているのが、このお言 葉。 親鸞聖人は、深夜2時頃起きられて修行をなさっていた。おそらく睡眠時 間は2、3時間ぐらいだったはず。こういう生活をされていたということ は、命懸けで修行をされていたことが分かる。 この比叡山から滋賀県方面を見ると琵琶湖が見える。この琵琶湖は、山上 から見ると眺めると定まった鏡のような湖面に見える。 親鸞聖人は、この定水をご覧になりながら、煩悩を静めようとしても静め られない心を歎かれ、天空に輝く月をご覧になりながら、ご自身の心にも 悟りの月を拝もうとされたが、煩悩の群雲によって心に悟りの月を拝むこ とができないと歎かれた。 そして、「煩悩を断じなければ救われないという教えでは助からない」と 思われた親鸞聖人は、29才の時に比叡山を下りられた。 9才から29才まで20年間もの長い間、天台宗で修行されていたにも関 わらず、親鸞聖人は弊履の如く、あっさりと天台宗を捨ててしまわれた。 これは普通はなかなかできないものだが、親鸞聖人は求道者であったの で、天台宗をあっさりと捨てることができたと言える。 比叡山を下りられた親鸞聖人は、自分を本当の救いに導いてくれる名師は おられないかと京都の街を彷徨(さまよ)われた。そして、京都の四条大 橋の上で、親鸞聖人は聖覚法印会われた。 この聖覚法印は、親鸞聖人の間接の善知識にあたる人で、この時に法然上 人の許へ親鸞聖人を導いた。 親鸞聖人は、法然上人のご説法を聞かれ、その一回で「この方の教えこそ 真実だ」と思われた。 この時、法然上人が親鸞聖人に話されたのは、煩悩があるがままで救われ る阿弥陀仏の本願のお話だったわけだが、煩悩にまみれた自己に泣いてい らした親鸞聖人にとって、このお話は「これこそ本当の救いだ」と思われ た。そして、それからというもの、雨の日も、風の日も、法然上人のお話 を聞きに通われた。そして、29才で山を下りられて、29才で信心決定 されている。 [get5out考察] get5out用画像フォーム 現在、paintプラグインはご利用いただけません。 【比較資料】 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(1) 問(45) 問 親鸞聖人が比叡山でご修行中、湖水や月を見て後生暗い心の解決できぬこ とに泣かれ、下山を覚悟せられたことを記した御文と、その根拠を書け。 答 ○定水を凝すと雖も識浪頻に動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う、而るに 一息追がざれば千載に長く往く、何ぞ浮生の交衆を貪って徒に仮名の修学 に疲れん、須らく勢利を抛って直に出離を■(小[りっしんべん]+希)うべし。 ツリー型コメントフォーム 名前 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問15へ このページのトップへ サイト内を and or タグで and or 2021-12-07 03 37 10 (Tue) 合計: - 本日: - 昨日: - #blogsearch link_pdfプラグインはご利用いただけなくなりました。
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みんなのスルメス保管庫 じゃんじゃん楽しみましょう。 タイトルの所をクリック→FreeUser→30秒のカウントが終わるまで待つ→Download でダウンロードできます。 表(?)の見方 タイトル 製作者(敬称略) 難易度(S~D) 製作者コメント 初代 ハル C 一番最初にできたスルメスです。 ここから歴史が始まった・・・。 スルメイト ゾーラ2 D 基本中の基本。それゆえに初心者と上級者の違いがはっきりと表れます。 スル=ルメ ノッシー親鸞 B 余りにもスローでいらつきます スルメトール ノッシー親鸞 S 重力を破る勢いであぶるべし スールメッズ ノッシー親鸞 B とにかく2次炙りをしまくるべし(⊙∀⊙) スルメズドア ノッシー親鸞 C 一発でスルメが完全にあぶれる分、どれだけ次々とあぶれるか。 スルドーメ ノッシー親鸞 D 全列塊にするとあぶっても飛びにくい( ゚x゚) 惑星スルメス ゾーラ2 D 全ての元凶。 とりあえず一生倒せない。|||○| ̄|_||| スルブーム ノッシー親鸞 B アクセルでスルメと塊の速度が入れ替わってしまうので、 どう使い分けるかがポイント。 恒星スルメス ゾーラ2 B 『惑星スルメス』より強力なスルメス。 油断してかかるといきなり滅亡するので注意。
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浄土真宗白鷺会 教学テキスト 真宗学2号 問19 問 相対善悪はわからぬものだと仰った聖人の御言葉とその出典 を書きなさい。 答 「善悪の二、総じてもって存知せざるなり。」(歎異抄 後序) 浄土真宗白鷺会 教学テキスト 真宗学2号 問20へ [get5out考察] get5out用画像フォーム 現在、paintプラグインはご利用いただけません。 【比較資料】 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学二号 問(39) 問 是非も邪正も判らぬ親鸞だと悲歎なされた親鸞聖人のお言葉を書け。 答 是非しらず邪正もわかぬこの身なり小慈小悲もなけれども名利に人師をこ のむなり。 解説 ・出題の意義――倫理至上主義を破邪するため。 ・邪正――善悪。 ・人師――人の上にたつこと。 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(2) 問(30) 問 「名利に人師をこのむ親鸞だ」と悲歎なされた 親鸞聖人のお言葉を書け。 答 ○是非しらず邪正もわかぬこの身なり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり 解説 ・法の深信から邪正の道路を弁うることなし。 正――弥陀の本願。 ・名利に人師をこのむなり――人から誉められたい。 人から大先生と言われたい。 お金が欲しい。気持ちがいっぱいだ。 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問25 問 相対善悪はわからぬものだと仰しゃった親鸞聖人の御言葉とその出典 を書きなさい。 答 ○「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。」(歎異抄 後序) ○「是非知らず邪正もわかぬこの身なり 小慈小悲もなけれども名利に 人師を好むなり」 (慚愧和讃) 『信声新聞』 第66号 平成7年9月25日発行 (4面) マスコミの無責任な体質を問う ―マスコミはなぜ間違いを犯すのか― ・・・『歎異抄』の後序に は、「善悪の二、総じてもって存 知せざるなり」というお言葉があ る。親鸞は、何が善で何が悪か、 まったくもって分からない愚か な人間だと泣いておられるのであ る。まことに親鸞聖人お歎きの 通り、事の是非、正邪、善悪とい うのは分からぬものだ。・・・ ツリー型コメントフォーム 名前 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 浄土真宗白鷺会 教学テキスト 真宗学2号 問20へ このページのトップへ サイト内を and or タグで and or 2021-12-07 03 43 20 (Tue) 合計: - 本日: - 昨日: - #blogsearch link_pdfプラグインはご利用いただけなくなりました。
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